第50回福智祭に行ってきました

実施日:2023年11月26日

投稿者:新入会員A

 昨日、「トイレ協議会」の先輩方と「第50回福智祭」に行ってきました。先輩方にとっては「福智祭」も「荒宿荘」にまつわるお話もよくご存じの事なのでしょうが、新入会員の私には、新しく知ることばかりだったので、「山のトイレ問題の歴史も現状も殆ど知らない新人」が感じたこととして、今回記事を書かせていただきました。


 まずは現地に向かう車の中で、先輩からいただいた「荒宿荘」の資料を読んでお勉強。

 実は「荒宿荘」は、今年2月に福智山に登った時に利用していて、この小屋の存在のありがたさが身に染みたという経験をしています。登り始めてすぐ小雨が降ってきたのですが、快方に向かうとの天気予報から、横着してレインウェアを着ずに登り続けたため、小屋に着く頃にはすっかり濡れそぼり、ガタガタ震えがくる程冷え切っていました。風を避けられる小屋の壁と、下からの冷えを遮ってくれる断熱アルミシート(小屋備え付け)に心から感謝しました。


先輩からの資料で勉強したこと…小屋の名前の由来

 「荒くれ山男達の宿」という意味と勝手に解釈していた私。資料を読んで、1968年1月に剣岳で遭難されたお二人の登山家のお名前が由来だと初めて知りました。遺品のザックの中から避難小屋の設計図が見つかったことで、「建設は2人の遺言」と、当時構想が練られていた避難小屋建設が本格的に動き出し、つるはし等での斜面造成から始めて4年近くかけ、1973年11月23日に完成。お二人(荒木さん・宿利さん)のお名前から一文字ずつとって「荒宿荘」と名付けられたそうです。


先輩からの資料で勉強したこと…小屋建設のご苦労

 セメント、鉄筋、ブロックなどの資材は、人力で運び上げたとのこと。自分一人では立ち上がれないほどの鉄骨を背負った方、40キロ入りのセメントを2袋も背負った方…。以前、北穂高小屋誕生の話が書かれた本を読み、実際に小屋に行って“梁”を見て「すごいなぁ」と思っていましたが、こんな身近なところにもそんな物語があったなんて…。


実際にお話しを伺って勉強したこと…バイオトイレ管理の大変さ

 「荒宿荘」に隣接して建つバイオトイレ「山ぼうし庵」(2006年11月12日完成)、現在は動力源として「荒宿荘」の屋根にソーラーパネルを設置しているとのことですが、以前は2週に1度、20リットルの灯油缶を担ぎ上げていたとのこと。「一度、2缶同時に背負って登ったけど、途中で心が折れた」と笑いながら話してくださったKさん(「筑豊山の会」会長・「トイレ協議会」会員)。

 昨日はちょうど「採銅所~皿倉カントリーレース」が開催されていて、登山道ですれ違うランナーの方々に「がんばってください」など多くの方が声かけされていました。勿論、もし小屋やトイレの管理をしてくださっている方々が作業されているのを見かけたら、登山者は感謝の意を伝えるでしょうが、多分実際にはそんなに他人と出会うこともなく、皆さん、黙々と、淡々と、荷揚げし、点検し、調整し、掃除をしてくださっているのでしょう。しかも、携わっているのは、必ずしも近くにお住まいの方というわけではないらしい。これまで「〇〇のトイレはあまり綺麗じゃないから…」とか、「〇〇はペーパーがないことが多いよね」とか、安易に「近くに住んでたら私も何かできるのに…」とか言っていた自分が恥ずかしくなりました。天気も良く、大変気持ちいい楽しい登山でしたが、同時にいろいろ学んだ山行でした。


【山行の記録】8:36 大塔の別れ付近の駐車場出発 - 10:29~10:52 荒宿荘(50周年記念のスプーンを受け取り一休み。先輩方が各々背負ってきた水を主催者側に渡したり、馴染みの方々に挨拶されたりしていました) - 11:00~11:32 福智山山頂(直下の岩に登って写真を撮ったり、遠くに見える山の名前を教えていただいたりしました) - 11:39~12:38 荒宿荘(昼食。ふるまいの豚汁を美味しくいただきました) - 13:56 下山